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東京都品川区の小児科医区議会議員が、小児科外来最前線からみた品川の小児医療、子育て支援について語ります。
 8月8日(水)は、まず高知県立高知城歴史博物館を訪れました。
 
 この博物館は、6万7千点におよぶ歴史資料や美術工芸品を、所有者であった元藩主の山内家から寄贈され、この寄贈品を収蔵・展示するために建てられた博物館なのだそうです。

 67000点の膨大な山内家資料は、長帳や古写真、家系図、南蛮帽や具足、カピタンの礼状、御菓子帳や絵巻、地球儀や望遠鏡など科学資料に及び、江戸時代の情報、海外との交流の歴史、地域の産業や民俗資料、江戸時代の科学や文学の資料として、大変な価値がある貴重なもの、ということでした。

 博物館長にご案内、ご説明をしていただきながら、博物館を回りました。



 まず、この博物館は高知城に隣接するため、高知城と調和するよう設計されており、建物の内装は、特産品である土佐檜の壁、土佐打刃物の装飾が施された土佐漆喰の壁、土佐和紙を使用した天井など、随所に土佐の伝統工芸品を使用した、土佐の伝統を生かす、造りになっているのだそうです。
 
 また、南海トラフ地震に備えて、主要な展示物は洪水が来ても安全な3階に展示している、ということでした。

 まず、学芸員の方が、修復、復元作業を行う作業部屋を見せていただきました。この部屋で、現在、古文書の修復が行われているそうで、さまざまな修復途中の古書や作業用具が置かれていました。



 それから、3つの展示室のある、メインフロアーの3階に行きました。展示室は、土佐の歴史の大年表、絵地図、土佐藩の歴史、幕末から明治の土佐の産業や教育に至るまで、多数の細かい資料が展示され、ひとつひとつ詳しく見ていくと、優に半日はかかりそうでした。

 これらの資料を見ていくと、薩長土肥といわれ、中央政府では土州人はそれなりに幅を利かせていましたが、高知県はあまり恵まれておらず、たとえば展示を見てみると、教育制度なども充実しているとはいい難い状況だったようです。



 三菱財閥を起こした岩崎弥太郎なども、中央で成功した後はほとんど郷里高知には寄り付かなかったようで、展示でもほとんど触れられていませんでした。
 
 また、土佐藩初代藩主の山内一豊は「やまうちかつとよ」と読むのが正しく、「やまのうちかずとよ」は誤りだそうです。
 NHKが「やまのうちかずとよ」の妻(「功名が辻」)を大河ドラマで放映したときは、高知県民から嵐のような抗議が、NHKに殺到したのだそうです。

 3階の高知城展望ロビーから、高知城と追手門が一望できました。